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雑記 つたえるということ

こんにちは。

 

今回も徒然シリーズ。

 

書き溜めた原稿からのアップです。

 

参考にしていただければ幸いです。 

 

 

 

 

 

<何かを伝える・教えるということ>

 

 

まず自分がどうしたいか

 

何を伝えたいのか、なぜ伝えたいのか、どうなりたいか

 

   →  モチベーション、つまり概ね尊厳欲求・自己実現欲求

 

 

 

次に伝えたい相手がどうして欲しいか

 

何を知りたいのか、なぜ知りたいのか、どうなりたいのか

 

   →  ニーズ・メリット、つまり社会的欲求(具体的には様々)、あるいは知的欲求

 

 

 

  必要なもの、基礎となるものは何か

 

相互に友好的か、恒常的であるか、適した言葉・振る舞いを行えるか、

 

 

 

 

伝える・伝えられるということには、相互の努力が必要である。伝わるという事象が起こるのは、相互に歩み寄ったことの結果である。伝わるという事象が起こる理由に例外はなく、相互の目的の利が一致するということである。歩み寄りとは、それぞれの利を相互に満たすということであり、その結果伝わるという事象が起こっている。どちらか一方が欠けた場合、これは成り立たない。もしくは長続きしない。

 

 

 

伝える側が歩み寄るためには、伝えられる側のもつ社会的欲求あるいは知的欲求に対して、認知・アプローチしなければならない。これは絶対に必要なプロセスである。この場合の社会的欲求には個人差がある。その時点で持ち合わせていない知識や概念を教授しようとする者、不足している経験を得ようとする者、人脈や環境(可能性)を得ようとする者と様々である。それらの欲求の根幹は多くの場合、個々の社会的・相対的な評価や位置づけを定義し易くすることにより、安心を得られることに他ならない。それらこそがニーズである。伝える側が差し出さねばならないものは、伝えられる側のニーズにより様々であるが、その多くは時間と労力である。それらを糧に尊厳欲求と自己実現欲求を満たせるかを天秤にかけるのである。

 

 

 

一方、伝えられる側が歩み寄るということには、伝える側の持つ尊厳欲求と自己実現欲求に対しての確かな認知・アプローチは必ずしも必要としない。なぜなら伝える側の意思に、承服もしくは賛同することが、それらを満たすことになるからだ。つまり伝えられる側が差しださねばならないものは、時間と意思表示ということになる。それらを糧に社会的欲求を満たせるかを天秤にかける。それら以外のものを糧として提示する者は、高次な(内的な)欲求を持っている者である。知的欲求などはこの類である。

 

 

 

これらのことから、伝わるという事象に関して極めて重要なのは、伝える側の簡潔で明確な意思である。伝えられる側がどの程度意思表示をしてくれるかはここにかかっている。明確な意図や方針が掲示されなければ意思表示は得られない。マニュフェストとも言ってもいい。そのためにはニーズを認知した周到なプラン(計画)が必要である。

 

 

 

 計画には短期、中期、長期的プランがバランスよく存在したほうが良い。短期的な計画には、その時節に適したものが望ましい。中期的な計画には当面の目標を反映させるべきだ。長期的な計画には、伝える側の最も根幹である『どうなりたいか』をそのベクトルにしなければならない。そして、如何にニーズに応えられるかということが、伝える側の欲求を満たす一番の近道であるということを忘れてはならない。

 

 

 

 また、なにかを伝えるということを成り立たせるためには、あるロジックを説くために必要な『正しさ』を提示することにこだわってはならない。なぜなら『正しさ』は結果的に近しいものになるのであって、必ずしも伝えられる側の者全てに適合するとは限らないからである。個々のニーズはそれぞれが尊重されるべきであって、総じて述べるべきではない。重要なのは、伝える側に確固たるものがあるかだけではなく、相互の関係を成り立たせられるかどうかである。

 

 

 

 相互の関係を成り立たせるために必要なものは『相互認知』である。相互の関係が友好的で、かつ恒常的な場合にのみ、伝わるということは安定を得る。大儀を伝えるという場合は特にこれが必須である。それは伝える事柄や環境に大きく左右されるが、『相互認知』には多くの場合長い時間が必要である。個々の背景にある実績や修練はもちろん、相互が多くの意思疎通を経た後に至るものだからである。時間をかけるという重要な要素を省いてはならない。

 

 

 

以上。